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中高生の皆さんへ「10代に読みたい物語」

2013年6月13日

復興を支えた神楽の心に迫る奉仕活動③

■ワカメの収穫を通じて人々とふれあう
 私達は、午前中は、ワカメの収穫作業に携わった。

 

 

 

 

 

 
また、特別に、ブイに持ち主の屋号を入れる作業も行わせて頂いた。

 

 

 

 

 

 
三月はワカメの収穫で忙しい。
漁師たちは、三時、四時には海に出て、早朝には水揚げする。
収穫した大量のワカメは、次々にボイルで茹でられ、塩でもみ、
しん抜きをして、封詰めを行う。
高校生は
「漁師の方がカゴを軽々持ち上げていたので、私も持てるかな、と思ったけど、予想以上に重くて驚きました。…こんなにも大変な重労働を毎日されているのだと思い、漁師の方々のおかげでワカメが食べられていることに感謝しなければならないと思った」
「あるご一家のワカメ漁の手伝いをさせて頂きました。ご一家は親戚など一族総出で漁をしていました。ご一家の家庭の温かさを感じました」
と感想を述べた。

 

このように漁は大変な重労働であるが、それゆえに、浜の人々は家族のように協力しあう。
とりわけ、震災後は、結束力が強まったという。
震災後、学校が閉鎖し、雄勝を離れた子や孫達が手伝いに駆けつけているのも嬉しいことだったという。
厳しい自然に向き合い生きることは苦労もあるが、やりがい、一体感がある。
若い人が漁の良さを見つけ、いつか浜に戻ってくることを浜の人々は願っている。

つづく

written by 清家和弥

中高生の皆さんへ「10代に読みたい物語」

2013年5月24日

復興を支えた神楽の心に迫る奉仕活動②

■震災と神社の果たす役割
東北入りした私達は、はじめに、「震災と神社の果たす役割」について学ぶため、
宮城県神社庁を訪れ、村田守広参事にお話を伺った。
宮城県は、百三十一社の神社が流失、全壊、半壊し、
また、神社を支える地域の人々も被災しているため、
それらの神社の多くは、再建の目途が立っていない。そのような中で、
神社本庁の支援を基軸に、支援者をつなぎ、すみやかな再建に尽力されたのが村田参事である。
ありがたくも、伊勢神宮よりご用材が無償で提供されることになり、
これまで九棟の神社が再建されている。
村田参事には、そのことも含めて三点についてお話し頂いた。
一つは、伊勢神宮のご用材を用い、お伊勢さんの神威を頂いて神社が再建されたことの意義の大きさである。
二つ目は、神社は、地域の心の拠り所であり、コミュニティーの核であり、
何よりも神社の再建が人々の元気につながることである。
三つめは、想定外という言葉が多く語られたが、そもそも自然は人智を超えた存在であり、
自然への畏敬の念が薄れたことが問題であること。
文明と自然のバランスをどのようにつけて行くのかを、
今回の震災を通じて考えなければならないということである。
村田参事の話を聞いて高校生は
「神社の存在が、地域のコミュニティの中でとても重要な役割を果たしていたんだと思いました。
町を復興していく中で、心の拠り所となる祈りの場があるということは
被災者の方々にとってどれほど支えになっただろうと思います」と感想を述べた。
 
■お伊勢さんの力を頂いだいた新山神社
午後、私達は、石巻市街地を視察し、雄勝町に移動、中心部にある新山神社を訪れた。
実は、伊勢神宮のご用材を使って再建された神社の第一号が、この新山神社であった。

訪れた雄勝地区は、雄勝湾の一番奥に位置する浜の町で、
津波によって流され一面更地と化した。その中に、規模は小さくとも、
檜の香も香しく若々しい輝きを帯びた新山神社は再建された。
「こんな立派なものができるとは」と涙ぐむ人もいた。
何しろ、伊勢神宮のご神域から切り出した木材を使うので、地元の人は大変よろこんだそうだ。
竣工奉告祭では、神楽も奉納され、三百名の人々が集まり、再会を喜びあった。
ご尽力された小田宮司は、お伊勢さんの力を頂いて、地域がよみがえることが、
何よりも嬉しく、やりがいも湧いてきたと語られた。
村田参事は、神社再建に、伊勢神宮のご用材が使われ、
大神のご神威をいただくことの意義深さについて繰り返し述べられたが、
二十年に一度の式年遷宮の年、東北の真の復興は、
日本のいのちのよみがえりの中になされていくことを強く信じておられることを改めて感じた。

次回に続く

(written by 清家和弥)

中高生の皆さんへ「10代に読みたい物語」

2013年5月16日

復興を支えた神楽の心に迫る奉仕活動①

復興を支えた神楽の心に迫る奉仕活動
―復興の原動力となった
「雄勝法印神楽」―

 
 皇后陛下御歌 復興(平成二十四年)

今ひとたび立ちあがりゆく村むらよ失せたるものの面影の上に

この御歌は、地震と津波により失われた人命、家、周囲の自然等、
その全てを面影として心に抱きつつ、
今一度復興に向け立ち上がろうとしている北国の人々に
思いを寄せてお詠みになったものである。 

去る三月二十九~三十一日、二度目の支援活動として訪れた
宮城県石巻市雄勝町は、まさに御歌に詠まれた、困難に直面しつつも、
たちあがりゆく村の一つである。
そして、その復興の原動力となったのが、神社、祭りの再興であり、
雄勝法印神楽の復活であった。
私たち高校生友の会呉竹は、ワカメの収穫作業の支援とともに、
復興を支える神楽の心とはどのようなものか、自らの目で見て感じ、
その中で、復興支援のあり方を見つめていきたいと考え、
高校生ら九名で雄勝立浜地区を訪れた。

雄勝町法印神楽は、六百年の昔、羽黒修験者によりこの地にもたらされ、
現在、国の無形文化財として浜の人々に受け継がれている。
二十八の演目からなる古事記、日本書紀の国生み神話等の物語の中から、
いくつかを選び、村の神楽師たちによって舞台が演じられる。
優美にして勇壮、激しい戦いの場面もあれば、
その年に生まれた赤子を抱き、舞う場面もある。
時には、観客が引きつられて舞台にあがり、神々と舞い踊る場面もある。
見る人も演じる人も一つに溶け込んで、土地とともに生きる喜びを共にし、
人々の絆をむすんでいくのが雄勝法印神楽と言えるだろう。

しかし、東日本大震災は、すべてを流し去ってしまった。
養殖場も家々も根こそぎ流され、神楽のお面や装束など一切の用具が
流された。四千三百人いた人口は千五百人まで減少し、
町の復興は目途が立たず、生活は元に戻らない。
それでも人々は、神楽や祭りの復活を望んだ。
全国からの支援もあり、十年は復活できない思われていた神楽が、
半年後、鎌倉宮での復興支援公演として蘇った。
 
■皇太子同妃両殿下 雄勝法印神楽をご鑑賞
さて、「雄勝法印神楽」は、今年二月、国立劇場で復興支援の公演が行われ、
皇太子同妃両殿下には行啓遊ばされ、三時間にわたる公演を
ご観賞になられた。私は偶然にもこの舞台を鑑賞する光栄に巡り合わせ、
「山幸、海幸」など皇室の遠つ御親の生命力あふれる舞台に感銘を深くし、
次代の子供たちにぜひとも伝えていきたいと思った次第である。
皇太子殿下は、公演後、四、五十分にわたり、一人一人に労いと励ましの
お言葉をかけられ、保存会の方々は、思いもよらぬお心遣いに
感激したそうだ。
皇太子殿下は、その時のお気持ちをお誕生日のご会見で述べられている。

「六百年の歴史を誇り、地域の人々の心のよりどころとなっている伝統芸能を守り、活動していこうとする保存会の人々のすばらしい公演を鑑賞し、震災に立ち向かいながら、伝統を守り続けるひたむきな姿に心を打たれました。引き続き、東北の方々の復興に向けた取組を国民が心を一つにして支えていくことが大切です」

東北の方々のひたむきな姿に心を打たれ、
国民と心一つに支えていこうとされる思いが、
一人一人への心こもるお言葉がけにつながったのではないかと拝察された。
私達は、殿下のお言葉を胸に、手作りの御製のしおりを携えて雄勝を訪れた。

次回へ続く
(written by 清家和弥)

親・教育関係者へ「教育実践の広場」

2013年3月2日

家庭の歳時記 3月3日 『ひなまつり』

家庭の歳時記    3月3日 『ひなまつり』

うれしいひなまつり
       サトー・ハチロー  作詞
       河村 光陽     作曲
1 あかりをつけましょ ぼんぼりに お花をあげましょ 桃の花
  五人ばやしの 笛たいこ きょうはたのしい ひなまつり

2 おだいりさまと おひなさま ふたりならんで すましがお
  およめにいらした ねえさまに よくにた官女の 白いかお

3 金のびょうぶに うつる日を かすかにゆする はるの風
  すこし白酒 めされたか 赤いおかおの 右大臣

4 着物をきかえて おびしめて 今日はわたしも 晴れ姿
  春のやよいの このよき日 なによりうれしい ひなまつり
   
一人娘のいる我が家では、節分をすぎて陽気の良い日をえらびおひな様を飾ります。
娘が成長したいまでも変わりなく行う楽しい年中行事です。
おひな様がお出ましになると家中が華やぎます。

3月3日には、平安時代や室町時代にはもう草餅や白酒をお供えする風習があったようです。
また、この日には゛祓えの日゛という側面もあり、自ら川にはいって身を浄めるかわりに
人形(ひとがた)などを撫でて穢れを移し、川に流すということをやっていたようです。
いまでも鳥取には「流しひな」が行われているところがあります。

それがやがて、人形が美しく飾られひな遊びの道具となり、
江戸時代からは、ひな壇に飾ってながめるものとなっていきます。

いずれにしても、鬼退治を連想させる「桃の実」や薬として使われていた
「よもぎ餅」や魔除けの「橘の黄色い実」など縁起の良いものを飾って、
幼い子らのすこやかな成長と幸福を願ったのだと思います。

また、ひな壇の両脇には、「左近桜」と「右近橘」が飾られますが、
これは京都御所の紫宸殿の様子をそのまま模したものであり、
ひなまつりを通して手の届かない御所の奥におわします天皇さまをお偲びするお祭りだったものと思われます。
子の幸せを祈るこころは今もむかしも同じです。「ひなまつり」に寄せた和歌を紹介します。

     神 雛
・遅ればせ今年も吾子の立雛を出したてまつる春のうらら
・十七(とをまりなな)このたびの春はしみじみと清らけき御面祈り見つむる
・つつがなく生ひ立ちにける十七年雛(ひいな)の神に感謝し奉る

心にひびくとてもいい和歌ですね。あたたかい家庭の様子が伝わってきます。
まだまだ寒い日がつづきますが、ひなまつりが過ぎると、
桃や梅の花が一斉に咲きはじめ春の訪れをつげてくれます。
春を待つ日々がこころを豊かにしてくれるように思えます。
どうぞご自愛ください。
  
written by 椛島

親・教育関係者へ「教育実践の広場」

2013年2月11日

家庭の歳時記 2月11日 建国記念の日

家庭の歳時記     2月11日  建国記念の日

拝啓 立春の候、今日関東では春一番が吹くと天気予報がいっていました。先日は雪が降りましたが、温暖の繰り返しで春がやってくるのですね。

今日のテーマは『建国記念の日』です。明治6年に「紀元節」として2月11日が建国をしのび祝う日として決められました。明治26年には小学唱歌「紀元節」が作られました。

『紀元節』     高崎正風作詞・伊澤修二作曲

   雲に聳ゆる高千穂の高根颪(おろし)に草も木も
   靡き伏しけん大御代を仰ぐ今日こそ楽しけれ

   海原為せる埴安の池の面より尚広き

   恵みの波に浴みし世を仰ぐ今日こそ楽しけれ

   天津日嗣(あまつひつぎ)の高御座(たかみくら)千代万代に動き無き

  基定めし其の上(かみ)を仰ぐ今日こそ楽しけれ

  空に輝く日の本の萬の国に類無き

  国の御柱立てし世を仰ぐ今日こそ楽しけれ

  国の分だけ「建国記念日」はあります。神話にその起源をもつ国。先住民と闘って勝ち取った国。度重なる革命によって出来上がった国。長い戦闘や内戦によって絶えず国境線を変えざるを得ない国。などなど。

日本は今年2673年目の「建国記念日」を迎えます。2673年前、大和の橿原の地で神武天皇がご即位された日が、建国の起源です。

それ以来、同じ日本の土地で、同じ言葉を使い、建国の神話を持ち、豊かな自然の中で感性を共有し、そして何より初代の神武天皇以来一系の天皇陛下という中心者を仰ぎながら歴史をつむいできました。それが日本人だといえるかもしれません。

以前、テレビで黒柳徹子さんがアフリカの人の言葉を紹介していました。アフリカは500年以上欧米によって植民地化され、奴隷という運命の中で、アフリカの歴史が辿れなくなった。思い出せないのですと。思い出す術が失われてしまったんだと。何という悲しい言葉でしょうか。人はただ生きているだけではなく、国としての共通の思い出やルーツを知らず知らずのうちに求めているのかもしれません。

 私たちは先祖が守ってきて下さったように、次の世代にきちんと日本のルーツや共通の思い出を伝えていかなくてはなりません。先祖への感謝の気持を忘れずに。門口に国旗を揚げて、建国のお祝いをいたしましょう。

親・教育関係者へ「教育実践の広場」

2013年2月2日

家庭の歳時記 2月3日 「節分」 2月4日「立春」

家庭の歳時記    2月3日 「節分」  2月4日「立春」

拝啓  立春の候、皆様にはいかがお過ごしでしょうか。今日は節分と立春についてお話します。

 石ばしる垂水の上のさわらびの萌えいづる春となりにけるかも

                           (志貴皇子の御歌・万葉集)

私の大好きな万葉の和歌です。まだあたりには冬の寒気が残っていながらも、その中に早蕨が萌え出でる様子に春の気配を感じるよろこびが満ち満ちています。千年をこえてもその情景がうかび共感できることはうれしいです。

長くて寒い冬をこえ、春に向うよろこびは実感しますが、古代であれば尚更春を待ちわびるこころはひとしおだったと想像します。

 「24節気」というものがあります。暦とは別に一年を24の節に分け、季節の移ろいを知り農事の段取りをする目安としました。その最初が「立春」です。むかしはその日を正月とする考えもありました。1年のはじめの「立春」を迎える前日を「節分」とし、冬の悪気をはらい新しい年の陽気を引き入れ豊年をむかえる行事がされます。

 冬の悪気をはらう行事が「鬼やらい」とよばれ、行われはじめたのは文武天皇の慶雲3年(706)。疫病の流行により百姓が多くなったためにおこなわれた。その後文徳天皇(850代)のころより民間でも広まったようです。「鬼やらい」とは鬼を桃の弓や葦の矢、矛と楯で追いやる行事だったそうです。

いまのように豆まきとなったのは室町時代からといわれています。

 今でも節分の夜に鬼の嫌がる葉を焼き家中にいぶかせたり、鬼が嫌うという鰯の頭を柊の枝にさし玄関にはりつける風習は残っています。

わが家では、そこまではしませんが、どんなに遅くなっても主人の帰りを待ち、家中の窓を開け「鬼は外、福は内」と豆をまき、歳の分だけ豆をいただきます。だんだん歳が増えると全部たべるのが大変です。

 そして「立春」をむかえ、午前中に「お雛様」をささやかながら飾り3月3日の雛祭りまで楽しみます。

親・教育関係者へ「教育実践の広場」

2013年1月10日

家庭の歳時記 1月7日  「七草粥の日」

家庭の歳時記    1月7日  「七草粥の日」

 新年明けましておめでとうございます。皆様にはすばらしい新年を迎えられたことと思います。関東はお天気に恵まれすばらしい富士山を拝むことができました。

 新しき年のはじめに白銀の富士の高嶺を仰ぎみるかな

 仕事始めとなり、正月気分もぬけて、1月7日は「七草粥」の日です。おせちの頂きすぎで少々胃腸にダメージがやってくるころではありますが、「七草粥」は正月疲れの胃腸のためにあるのではありません。

古代の宮中では、七種の穀物(米、粟、黍、稗、みの、胡麻、小豆)を炊いていただく行事だったようです。鎌倉時代になると、若菜を入れたお粥となり今につながります。春の七草は、芹、なずな、御形、はこべら、仏の座、すずな、清白です。いまはこれらの若菜を身近に探すことは難しく、わが家では代用の若菜をまぜて炊くことにしています。

 6日の晩に、まな板に火箸、すりこ木、卸金、杓子、割薪、菜箸、火吹竹の七つの道具を並べ、まな板を七回たたきます。それから若菜を刻むのですが、その時「七草なずなは、唐土の鳥が日本の土地に渡らぬ先に、七草なずな」と唱え事を七回唱えました。「唐土の鳥」とは唐から渡ってくる害鳥のことで、害鳥を神の力で追い払い、豊作と平穏をねがう意味が込められているといいます。いくつかの農村地方では今でもその風習が残されています。やがてやってくる種まきの春を予祝する行事だったのですね。

それにしても、七日、七草、七種の道具、七回の唱えことと、「七」には邪気を祓う特別な力があるのでしょうか。

 そして七日は、正月に飾った様々な松飾をはずす日でもあります。

親・教育関係者へ「教育実践の広場」

2012年12月30日

家庭の歳時記 1月1日 『お正月―年神さまを迎える』

家庭の歳時記  1月1日 『お正月―年神さまを迎える』

このブログを書いているのは、12月26日。今日は家中のカーテンを洗い、午後から庭の掃除。亡くなった姑が、正月やお盆の前には必ず庭を掃き清めていました。年神様やご先祖様が入って来られる道を清めると言っていました。

28日は正月のお飾りです。神棚、仏壇、床の間を清め、床の間には福壽老人の掛け軸と鏡餅を飾り、神棚には新しいしめ縄を張ります。松入りの仏花を仏壇にそなえ、門松を玄関に立てます。一夜飾りや9のつく日は避けます。

30、31日はおせちの準備。子供のころ、紅白を見ながら台所で遅くまでおせちを作る母の姿が思い出されます。

元旦は、早朝から初詣。昨年の感謝と今年の誓いをたてます。帰宅すると、わが家のお正月です。年神様に参拝しおとそを頂き、清き塩と昆布とかつをぶしをいただきます。それからおせち料理を皆で頂きます。

2日は、皇居の一般参賀に参り、天皇陛下より新年のお福をいただきます。

毎年毎年同じスケジュールでお正月を迎えます。多少の違いはあれ、日本人は同じようなお正月を迎えているでしょう。長い歴史のなかで培われた形のなかで正月を迎えることのできる国民は幸せだと思います。このシンプルさのなかに、日本人の心が形作られているヒントが隠されているかもしれません。

 『正月』は年神様をお迎えする行事です。「年神」とは時間を区切る「年」の意と、「五穀を司る神」の意がこめられています。ですから「鏡餅」も「門松」も「しめ縄」も「お年玉」も「おせち料理」もひとつひとつに年神様を迎えるための意味が込められています。そして、その形を大切に守ってきたのですね。

普段は離れ離れに暮らしている家族が正月に集まり、年神様とともにおとそやおせちを頂く、そこに日本の家庭の原風景があります。

 皇居では、早朝宮中三殿の前庭にむしろが敷かれ、周囲を屏風に囲まれたなかに天皇陛下お一人が入られ、厳寒のなか四方の神々に祈りを捧げられます。すべての災難がわが身を通り、国民に及ばないようにという詞がとなえられるといいます。私たち日本人は、陛下のこの無私のお祈りによって生かされ、新しき年を迎えることができているのです。こんな幸せな国民はどこにもいません。

 今年の「家庭の歳時記」はこれでおしまいです。どうか皆様には、佳き新年をご家族とともに迎えられますことを心よりお祈り申し上げます。

by椛島雅子

親・教育関係者へ「教育実践の広場」

2012年12月22日

家庭の歳時記 12月23日 『天長節―天皇誕生日』

家庭の歳時記   12月23日 『天長節―天皇誕生日』

寒い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。先回のブログで12月22日が『冬至』と書きましたが、今年の冬至は12月21日でした。申し訳ありませんでした。

さて、冬至が過ぎ、一陽来復の日となりました。その太陽の蘇りの日と『今上天皇のお誕生日』が重なっています。日本にとっては、天皇陛下の御存在こそいつの時代も「一陽来復」の象徴でした。どんな大変な暗い時代であっても、日本人は天皇陛下の御存在に太陽の光を重ね、現状を乗り越える力を得てきました。今の時代もまさにそうでしょう。

 昭和8年12月23日、今上陛下がお生まれになったとき、国民の慶びようは大変なものだったようです。内親王様のご誕生がつづき、親王様のご誕生を皆で心待ちしていたのです。親王様ご誕生の知らせは、サイレンで知らされたそうです。東京や京都では花電車が走ったといいます。当時の国民の慶びようは次の歌となって国民の間で歌われました。

     『皇太子さまお生まれなった』  北原白秋作詞 ・ 中山晋平作曲

日の出だ日の出に 鳴った鳴った ポーオポー

サイレンサイレン ランランチンゴン

夜明けの鐘まで

天皇陛下お喜び みんなみんなかしわ手

うれしいな母さん 皇太子さまお生まれなった

 

日の出だ日の出に 鳴った鳴った ポーオポー

サイレンサイレン ランランチンゴン

夜明けの鐘まで

皇后陛下お大事に みんなみんな涙で

ありがとお日さま 皇太子さまお生まれなった

 

日の出だ日の出に 鳴った鳴った ポーオポー

サイレンサイレン ランランチンゴン

夜明けの鐘まで

日本中が大喜び みんなみんな子供が

うれしいなありがと 皇太子さまお生まれなった

 

皇太子さまとしてお生まれになり、常に国家国民のために、神祭りやご公務を厳修されています天皇陛下に、心からなる感謝を捧げる日として過ごしたいと思います。

わが家では、門口に国旗を掲げ、お赤飯でお祝いし、家族で皇居参賀に参ります。そのような家庭が日本に増えるよう、願っています。

親・教育関係者へ「教育実践の広場」

2012年12月21日

家庭の歳時記 12月21日 『冬至の過ごし方』

家庭の歳時記   12月21日 『冬至の過ごし方』

今年もあとわずかとなりました。今年一年の出来事を振り返る時期ですが、皆さんにとってはどのような年でしたか。収穫あり、また後悔あり・・・といろいろ。冬は寒いということもあり、心身ともに内に目が向います。それが、来る活動の春にむけた大事な時なのでしょう。庭の樹々を見ても、裸になった木の枝にもう新芽がついています。木のなかでは冬の間に栄養をたくわえ、春の準備をしっかりと進めています。自然も人も季節とともに循環の摂理のなかで生きているんだと思う今日この頃です。

 さて、12月22日は『冬至祭』です。この日が1年で一番昼の時間が短い日です。『冬至』は太陽の光が一番弱い日とされ、その中で邪気を払って過ごす様々な風習が行われてきました。かぼちゃを食べる。柚子湯につかる。小豆かゆを食べる。地方によっても様々なことが行われてきました。黄色が魔よけの色と信じられ、かぼちゃや柚子をつかったとも言われています。また、5月の菖蒲湯のように禊の意味もあります。そのような習慣を通して何とか元気に新年を、また春を待つのです。今のように寒さを防ぐ環境や暖房が少なかった昔は、冬を無事過ごすこと自体は困難なことだったでしょう。また、秋の収穫が終わり、仕事をやめ休息の時期と決め過ごしたものと思います。

『冬至』を過ぎれば、太陽の復活を示す「一陽来復」の日となります。少しずつであっても着実に日が伸び春に向うのです。

 ある説によると、11月25日がクリスマスと決められたのも、『冬至』を過ぎ太陽の復活を祝う日が最もふさわしいということであるといわれています。

 今は冬を越すということが難しいということは、ほとんど感じられなくなりましたが、昔からの知恵にしたがい、かぼちゃを食べ、柚子湯につかり、ゆっくりと冬の夜を過ごしてみてもいいのかもしれません。今の時期はやはり心と体を一度リセットして、気持ちよく新年を迎える時期なのかもしれません。

 

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