2013年1月10日
家庭の歳時記 1月7日 「七草粥の日」
新年明けましておめでとうございます。皆様にはすばらしい新年を迎えられたことと思います。関東はお天気に恵まれすばらしい富士山を拝むことができました。
新しき年のはじめに白銀の富士の高嶺を仰ぎみるかな
仕事始めとなり、正月気分もぬけて、1月7日は「七草粥」の日です。おせちの頂きすぎで少々胃腸にダメージがやってくるころではありますが、「七草粥」は正月疲れの胃腸のためにあるのではありません。
古代の宮中では、七種の穀物(米、粟、黍、稗、みの、胡麻、小豆)を炊いていただく行事だったようです。鎌倉時代になると、若菜を入れたお粥となり今につながります。春の七草は、芹、なずな、御形、はこべら、仏の座、すずな、清白です。いまはこれらの若菜を身近に探すことは難しく、わが家では代用の若菜をまぜて炊くことにしています。
6日の晩に、まな板に火箸、すりこ木、卸金、杓子、割薪、菜箸、火吹竹の七つの道具を並べ、まな板を七回たたきます。それから若菜を刻むのですが、その時「七草なずなは、唐土の鳥が日本の土地に渡らぬ先に、七草なずな」と唱え事を七回唱えました。「唐土の鳥」とは唐から渡ってくる害鳥のことで、害鳥を神の力で追い払い、豊作と平穏をねがう意味が込められているといいます。いくつかの農村地方では今でもその風習が残されています。やがてやってくる種まきの春を予祝する行事だったのですね。
それにしても、七日、七草、七種の道具、七回の唱えことと、「七」には邪気を祓う特別な力があるのでしょうか。
そして七日は、正月に飾った様々な松飾をはずす日でもあります。
2012年12月30日
家庭の歳時記 1月1日 『お正月―年神さまを迎える』
このブログを書いているのは、12月26日。今日は家中のカーテンを洗い、午後から庭の掃除。亡くなった姑が、正月やお盆の前には必ず庭を掃き清めていました。年神様やご先祖様が入って来られる道を清めると言っていました。
28日は正月のお飾りです。神棚、仏壇、床の間を清め、床の間には福壽老人の掛け軸と鏡餅を飾り、神棚には新しいしめ縄を張ります。松入りの仏花を仏壇にそなえ、門松を玄関に立てます。一夜飾りや9のつく日は避けます。
30、31日はおせちの準備。子供のころ、紅白を見ながら台所で遅くまでおせちを作る母の姿が思い出されます。
元旦は、早朝から初詣。昨年の感謝と今年の誓いをたてます。帰宅すると、わが家のお正月です。年神様に参拝しおとそを頂き、清き塩と昆布とかつをぶしをいただきます。それからおせち料理を皆で頂きます。
2日は、皇居の一般参賀に参り、天皇陛下より新年のお福をいただきます。
毎年毎年同じスケジュールでお正月を迎えます。多少の違いはあれ、日本人は同じようなお正月を迎えているでしょう。長い歴史のなかで培われた形のなかで正月を迎えることのできる国民は幸せだと思います。このシンプルさのなかに、日本人の心が形作られているヒントが隠されているかもしれません。
『正月』は年神様をお迎えする行事です。「年神」とは時間を区切る「年」の意と、「五穀を司る神」の意がこめられています。ですから「鏡餅」も「門松」も「しめ縄」も「お年玉」も「おせち料理」もひとつひとつに年神様を迎えるための意味が込められています。そして、その形を大切に守ってきたのですね。
普段は離れ離れに暮らしている家族が正月に集まり、年神様とともにおとそやおせちを頂く、そこに日本の家庭の原風景があります。
皇居では、早朝宮中三殿の前庭にむしろが敷かれ、周囲を屏風に囲まれたなかに天皇陛下お一人が入られ、厳寒のなか四方の神々に祈りを捧げられます。すべての災難がわが身を通り、国民に及ばないようにという詞がとなえられるといいます。私たち日本人は、陛下のこの無私のお祈りによって生かされ、新しき年を迎えることができているのです。こんな幸せな国民はどこにもいません。
今年の「家庭の歳時記」はこれでおしまいです。どうか皆様には、佳き新年をご家族とともに迎えられますことを心よりお祈り申し上げます。
by椛島雅子
2012年12月22日
家庭の歳時記 12月23日 『天長節―天皇誕生日』
寒い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。先回のブログで12月22日が『冬至』と書きましたが、今年の冬至は12月21日でした。申し訳ありませんでした。
さて、冬至が過ぎ、一陽来復の日となりました。その太陽の蘇りの日と『今上天皇のお誕生日』が重なっています。日本にとっては、天皇陛下の御存在こそいつの時代も「一陽来復」の象徴でした。どんな大変な暗い時代であっても、日本人は天皇陛下の御存在に太陽の光を重ね、現状を乗り越える力を得てきました。今の時代もまさにそうでしょう。
昭和8年12月23日、今上陛下がお生まれになったとき、国民の慶びようは大変なものだったようです。内親王様のご誕生がつづき、親王様のご誕生を皆で心待ちしていたのです。親王様ご誕生の知らせは、サイレンで知らされたそうです。東京や京都では花電車が走ったといいます。当時の国民の慶びようは次の歌となって国民の間で歌われました。
『皇太子さまお生まれなった』 北原白秋作詞 ・ 中山晋平作曲
日の出だ日の出に 鳴った鳴った ポーオポー
サイレンサイレン ランランチンゴン
夜明けの鐘まで
天皇陛下お喜び みんなみんなかしわ手
うれしいな母さん 皇太子さまお生まれなった
日の出だ日の出に 鳴った鳴った ポーオポー
サイレンサイレン ランランチンゴン
夜明けの鐘まで
皇后陛下お大事に みんなみんな涙で
ありがとお日さま 皇太子さまお生まれなった
日の出だ日の出に 鳴った鳴った ポーオポー
サイレンサイレン ランランチンゴン
夜明けの鐘まで
日本中が大喜び みんなみんな子供が
うれしいなありがと 皇太子さまお生まれなった
皇太子さまとしてお生まれになり、常に国家国民のために、神祭りやご公務を厳修されています天皇陛下に、心からなる感謝を捧げる日として過ごしたいと思います。
わが家では、門口に国旗を掲げ、お赤飯でお祝いし、家族で皇居参賀に参ります。そのような家庭が日本に増えるよう、願っています。
2012年12月21日
家庭の歳時記 12月21日 『冬至の過ごし方』
今年もあとわずかとなりました。今年一年の出来事を振り返る時期ですが、皆さんにとってはどのような年でしたか。収穫あり、また後悔あり・・・といろいろ。冬は寒いということもあり、心身ともに内に目が向います。それが、来る活動の春にむけた大事な時なのでしょう。庭の樹々を見ても、裸になった木の枝にもう新芽がついています。木のなかでは冬の間に栄養をたくわえ、春の準備をしっかりと進めています。自然も人も季節とともに循環の摂理のなかで生きているんだと思う今日この頃です。
さて、12月22日は『冬至祭』です。この日が1年で一番昼の時間が短い日です。『冬至』は太陽の光が一番弱い日とされ、その中で邪気を払って過ごす様々な風習が行われてきました。かぼちゃを食べる。柚子湯につかる。小豆かゆを食べる。地方によっても様々なことが行われてきました。黄色が魔よけの色と信じられ、かぼちゃや柚子をつかったとも言われています。また、5月の菖蒲湯のように禊の意味もあります。そのような習慣を通して何とか元気に新年を、また春を待つのです。今のように寒さを防ぐ環境や暖房が少なかった昔は、冬を無事過ごすこと自体は困難なことだったでしょう。また、秋の収穫が終わり、仕事をやめ休息の時期と決め過ごしたものと思います。
『冬至』を過ぎれば、太陽の復活を示す「一陽来復」の日となります。少しずつであっても着実に日が伸び春に向うのです。
ある説によると、11月25日がクリスマスと決められたのも、『冬至』を過ぎ太陽の復活を祝う日が最もふさわしいということであるといわれています。
今は冬を越すということが難しいということは、ほとんど感じられなくなりましたが、昔からの知恵にしたがい、かぼちゃを食べ、柚子湯につかり、ゆっくりと冬の夜を過ごしてみてもいいのかもしれません。今の時期はやはり心と体を一度リセットして、気持ちよく新年を迎える時期なのかもしれません。
2012年11月22日
家庭の歳時記 「新嘗祭(にいなめさい)」
11月23日は「新嘗祭」
いまは、11月23日は「勤労感謝の日」となりましたが、宮中では「新嘗祭」としてお祭が執り行われています。戦前は国民みな「新嘗祭」といっていました。
「新嘗祭」とはその年に収穫された新穀を皇祖皇宗(※1)に捧げ、天皇陛下お自らも召し上がられるお祭のことです。宮中三殿の神嘉殿(※2)で夕の儀、暁の儀があわせて6時間あまりに亘り古式ゆかしく厳かに執り行われるそうです。
全国津々浦々より丹精こめて作られた献穀米が大きな一つの器に盛られご神前に供えられるといいます。
「新嘗祭」の歴史は古く、日本書紀には皇極天皇元年(642)11月16日に行われた記録が残っています。ということはそのずっと昔から、収穫を感謝するお祭りがあったということですね。
11月のこの頃は、南北に長い日本全体で米の収穫が終わる時期です。
すべての田んぼで収穫が済んでから、「新嘗祭」が行われてきたということです。
伺うところによれば、天皇陛下は「新嘗祭」ではじめて新米を口にされるそうです。
御製 一年を顧みて (平成6年)
・ 豊年を喜びつつも暑き日の水足らざりしいたづき思ふ
水不足に苦労をした国民生活の上を思われ、その中で得られた豊かな実りをお慶びになるお心が偲ばれます。
国民の苦労をきちんと知っていて下さるというのは、何と私たちに心の安心を与えて頂いているのかと思います。
11月23日、今日から明日にかけて宮中奥深く、神人一体となって国家と国民の安寧を祈って下さっている天皇陛下のお祭りに、心を澄ませてみませんか。
※1・・・「皇祖皇宗」とは皇祖は天照大御神、皇宗は歴代天皇のこと。
※2・・・「神嘉殿」は皇居内、皇霊殿の西にある建物。新嘗祭・神嘗祭が行われ、その南庭では元日に四方拝を行う。
(written by 椛島)
2012年11月13日
家庭の歳時記 「七五三参り」
11月15日は「七五三参り」です。江戸時代、五代将軍綱吉のときにはじまったようです。
11月に入ると、どこのお宮でも晴れ着の子供を連れた家族連れを見かけます。
お参りの帰りには長い千歳あめの袋を持った子供が疲れきってお父さんの背中に。
普段とは違う一日に喜びとちょっぴりお疲れの様子がかわいいですね。
江戸の昔も同じだった様子が次の川柳に伺えます。
・十五日 江戸で争う 肩車 (柳多留八篇)
・礼服で 乳をのんでる 十五日 (柳多留十四篇)
・髪置は 櫛さしておち さしておち (柳多留十二篇)
冠婚葬祭の「冠」とは、子を授かり成人を迎えるまで、
成長の節目節目に氏神に子の無事を祈り感謝を捧げる行事です。
岩田帯、初宮参り、お食いはじめ、初節句、七五三参り、成人式。
いま私たちになじみのある行事はこのようなものですが、昔はもっとあったようです。
今と違い、子供が授かって無事産まれ、何事もなく成長することが当たり前でなかった頃は、
ひたすら神に祈り、また親ばかりでなく多くの周りの大人が子の成長を見守りました。
三歳は「髪置き」といってそれまで剃っていた髪を伸ばしました。
白い綿を頭にのせて白髪を模し、長寿を祈った。
綿をのせる長寿の人を「髪置親」といいました。
五歳の男児は「袴着」といって、初めて袴をつけて童子となります。
袴をつける人を「袴親」。また、冠をつけ碁盤の上に立ち、四方の神に祈りました。
冠をつける人を「冠親」といいました。
七歳は女児がそれまで着物についていた付紐を解いて大人の帯をつける「帯解」といいました。
帯を贈る人は親代わりとなる女性で「帯親」といったそうです。
多くの「親」に見守られながら、子供は七歳を迎えてやっと社会の仲間入りをすることができました。
今も七歳で小学校に入学しますがその名残なのでしょうか。
子供はこのようなさまざまな儀式を経て、成長の階段をのぼって行きます。
また、親も子の成長をよろこびつつ、親としての学びをしていくのだと思います。
現代のお母さんの和歌を紹介します。
息子の二歳の誕生日を迎へて
・親子三人産土神社に参拝し神のみまもりに感謝しまつる
娘の一歳の祝ひ
・日々変はり生ひ育ちゆく一歳の娘の祝ひうれしかりけり
・餅背負ひ踏みしめ笑ふ吾子見れば行く末思ひ頼もしきかな
このような親心を大切に育てていきたいですね。
(written by 椛島)
2012年11月3日
10代を生きる君たちへ~日本の国の素晴らしさを知っていますか~
十代の皆さんへ ~あなたは日本の国の素晴しさを知っていますか
イギリスのBBCという国営放送局が、世界の22ヶ国と毎年共同で行っている世論調査があります。
その一番新しいデータによれば(2011~2012)、世界に対して最も良い影響を与えている国は日本だ、
という結果が出ているそうです。
つまり、日本は世界中から最も高い評価を得ている国の一つなのです。
でも、皆さんはそうしたデータを示されても、なかなか実感がわかないかもしれませんね。
別のデータ(2007年のユニセフ調査)によれば、「自分は孤独だ」と感じている子供の割合が、
日本は他の国と比較して非常に多いことが判明しています。
この調査は15歳の少年を対象としたものですが、「自分は孤独だ」と感じている日本の子供は、
29.8%にも達していました。ほぼ3人に1人の割合です。
これは「先進国」24カ国を対象とした調査ですが、日本以外の他の国の割合は、
軒並み10%以下でした。例えばオランダでは、「自分は孤独だ」と感じている少年は2.9%しかいませんでした。
日本の十分の一です。「自分は孤独だ」と感じている少年が、日本はオランダの10倍もいるということです。
また、財団法人日本青少年研究所などが日本・米国・中国・韓国の4ヵ国の高校生を対象に
実施した調査によれば、「自分は価値のある人間だ」と思う生徒は、
米国や中国では90%近くにも達していました。
韓国でも80%近かったのに対し、日本だけが40%にも満たないという散々な結果でした。
どうも日本の子供たちは、自分にあまり自信が持てないでいるようです。
しかし、私はそんなに悲観する必要はないと思います。
君たち十代の若者が自信を持てないでいるのは、
自分という存在が何かとしっかりつながっているという感覚が、
なかなか持てないからではないでしょうか。
家族とのつながり、友達とのつながり、確かにそうした絆を強固に持っている人は、
自信に満ちあふれた人だということが出来るでしょう。ただ、それだけではないのです。
あなたの生れた国は、どういう歴史を持った国ですか。あなたはそれを、他国の人に語れますか。
日本の国は、世界中の人が憧れるような、そんな素晴しい国なのです。
それをあなたが知ったとき、それをあなたが勉強したとき、もうあなたは一人ではありません。
あなたの誇りは、あなたの家族であり、あなたの友達であるように、
いやそれ以上に、あなたの生れた国なのです。
日本人であるあなた自身が日本の国の素晴しさを知るということ、
語れるようになるということ、それが本当の意味で自分に自信を持つということなのです。
日本の国に生れたあなたは、それだけで素晴しい財産を持っているのです。
written by 明星大学戦後教育史研究センター 勝岡寛次
2012年11月3日
11月3日 「明冶節」
今日は11月3日「文化の日」。戦前は「明治節」と言ってお祝いしました。
この日は明治天皇のお誕生日です。
戦前この日は、旗日ながら登校日で学校では「明治節の歌」を皆で歌い、
明治天皇のご聖徳を称えるお話をうかがい、紅白饅頭をいただいて帰宅したそうです。
『明冶節』 (昭和3年 作詞 塩沢周安 作曲 杉江修一)
一, 亜細亜の東日出づる処 聖の君の現れまして
古き天地とざせる霧を 大御光に隈なくはらい
教あまねく道明らけく 治めたまえる御代尊
二, 恵の波は八洲に余り 御稜威の風は海原越えて
神の依させる御業を弘め 民の栄行く力を展ばし
外つ国国の史にも著く 留めたまえる御名畏
三,秋の空すみ菊の香高き 今日のよき日を皆ことほぎて
定めましける御憲を崇め 諭しましける詔勅を守り
代代木の森の代代長えに 仰ぎまつらん大帝
昭和になって作られたということが、とても興味深いと思いました。
明治天皇のご聖徳が国民教育の柱として考えられていたのだと思います。
国内に止まらず広く外国にまでそのご存在が大きく影響力のあったことが伺えます。
本年は、明治天皇の崩御後百年ということで、様々な行事や出版がありました。
「明治の御代」という本が出版されました。その中に、様々な逸話が紹介されています。
明治天皇が奥州をご巡幸になったとき、
地元の国民がこぞって和歌を詠んで天皇のご休憩所の玄関の戸に挟んだり、
机の上にこっそりと置いたそうです。
それに気付いたお歌掛の高崎清風はそれらの歌を集め天皇に奉りました。
その中の和歌に返歌を賜った例もあったそうです。
<当時の国民の和歌>
・ ありかたきみゆきおろがみ立返り稲を作りて御世につかへむ
鄙の地にお立ち寄り頂いた明治天皇への感謝と、
稲作を通して「御世につかへむ」と誓う心が美しいと思いました。
そして当時の国民の教養の高さに驚きです。
もっともっとたくさんのご事績やエピソードが満載です。どうぞ一読を。
11月3日は国旗を揚げて、お祝いしましょう。
written by 椛島
2012年11月2日
子どもの小さい頃、膝に抱っこして絵本を読んであげた日々は、
親子のぬくもりを感じられる、何ともしあわせなひとときでした。
現在大学生の娘、高校生の息子は、おなかにいる時から、小学校5、6年生頃まで続きました。
一緒に笑ったり、喜んだり、じっと見つめたり、今思えば母乳をあげている時のような至福の時でした。
※「おかあさんの目」あまんきみこ作より
「『せつこも、うつくしいものに出会ったら、いっしょうけんめい見つめなさい。見つめると、それが目ににじんで、ちゃあんと心にすみつくのよ。そうすると、いつだって目のまえに 見えるようになるわ。だって、いまおかあさんのひとみにうつっていたでしょう。?』
わたしには、そのとき、そのことばの意味も、すこししかわかりませんでした。けれど、うつくしいものに出会うたびに、いつもわたしは、おかあさんの目をおもいだしました。」
※「ぽんぽん山の月」あまんきみこ作より
「ああ、おいしい。」
「げんきが でたねえ。」
「おかあちゃんが、月から おろしたんだ。」
「そうか、おかあちゃんは、ちゃんと ぼくたちをみてるんだねえ。」
子どもは、お母さんを信じてまっすぐ見つめている、
またお母さんが子どもをしっかり見ているということ、大切なことですね。
written by 市橋
2012年10月17日
家庭の歳時記
●「神嘗祭」 十月十七日 伊勢神宮
うち続く田は豊かなる緑にて実る稲穂の姿うれしき
平成七年に今上陛下がお詠みになられた御製です。
私の家の近くにも田んぼがあり、今収穫の真っ盛りです。
おじいさんもおばあさんもお父さんお母さん、恥ずかしそうに手伝っている子供と、
家族総出の稲刈りの風景。豊かに実る稲穂の風景は、
遠くで見ている私まで幸せにしてくれます。
「稲穂の姿うれしき」とお詠みになられた陛下のお心は、おそらくもっと深く切実なものと拝察いたします。
全国で初穂が実る十月、伊勢神宮では年間を通して最大のお祭「神嘗祭」が行われます。
このお祭は、元正天皇の養老五年(七二一)九月乙卯の日に始まりました。
その後応仁の乱をきっかけに、およそ四百年の中断を経て、明治六年に復活されました。
先日、天皇陛下が皇居内の田で、お手植えの稲の稲刈りをなさいました。
その初穂が勅使によって伊勢神宮に捧げられます。
また、伊勢神宮の神田で神官の手で育てられた稲穂が供えられます。
伊勢神宮の内宮では、十月十六日の午後十時より「夕の由貴大御饌(ゆうのゆきのおおみけ)」が、
また十七日の午前二時より「朝の由貴大御饌」が厳かに行われます。
正午には、天皇の勅使がご神前に幣帛(へいはく・・・五色の絹)を捧げ国家の安泰を祈り、
五穀豊穣を感謝されます。
由貴大御饌では新穀で調理された御飯、新酒を中心にご馳走が供えられるといいます。
尚、外宮においては、内宮より一日前にお祭が執り行われます。
日本の国は、邇邇藝命(ににぎのみこと)が天孫降臨される時、
天照大御神より神鏡と稲穂を授けられ、瑞穂の国として言祝がれました。
そして、毎年行われる「神嘗祭」に初穂を捧げられ、天照大御神に豊年を奉告されるのです。
天皇陛下の「うれしき」というお言葉の深さがしみじみと感じられます。
written by 椛島
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