中高生セミナーに参加した高校生が中心となり、社会、そして日本の国の役に立てるリーダーを目指して、高校生友の会「呉竹」を結成しました。
高校生友の会「呉竹」という名称は明治天皇御製から頂きました。
「さまざまのうきふしをへて呉竹のよにすぐれたる人とこそなれ」
竹には「節」があります。節があるからこそ、竹はまっすぐ生長することができる。節は人の人生に例えれば「困難」といえるでしょう。
僕たち高校生も、竹のように、これから先どんな困難があっても、負けずに乗り越えていけるような人になり、日本の国の役にたてる人になり、高校生から公に尽くす生き方の風を興していこうと志します。
リーダー 高校二年 土肥幸太郎
「皆さんと作り上げる千羽鶴一羽一羽が、被災地の方の魂に寄り添う鶴であってほしいです。私は将来、人の魂に寄り添おうとする鶴のように、人の苦しみに寄り添う看護師になりたいと思っています。」
(千葉・高3・小松友香)
清掃奉仕行程表 6月
9月
3月
「ブルーシートと畳が体育館全部に敷いてあって、それをとって床を磨いた。半年間の思いがつまったこの体育館を掃除できたことは私に何か素晴らしいエネルギーを与えてくれたような気がしてならなかった。
最初はボーっと私たちがそうじをしているのを見ていた被災者の方たちも少しずつ掃除を手伝ってくれて、みんなが一つになって小学校を綺麗にすることができた。
大川小学校は、海沿いに面しており、あの光景を見たときは言葉も出なかった。先生や子供たちはどんな思いでこの世を去ったのだろう。みんなには家族もいた。家族の気持ちを考えると私は胸が痛くなり、涙が止まらなかった。
出発前の結団式で「瓦礫の中にはみんなが使っていたものがたくさんあってたくさんの思い出がつまっていた。だから瓦礫と呼べなくなった」とおっしゃっていた。私はその言葉を思い出し、瓦礫を見たら、生活用品や洋服、家具などがたくさん目に入り、言葉の意味をかみしめた。」
(高校二年 徳村麻留実)
「今日は雪が降っていて風も強かったです。でも震災当時はもっと冷え込んだらしいです。そのことを思うと、私たちのようにしっかりとした装備で作業をするのに「さむい」や「しんどい」は本当に失礼だと感じました。ボランティアセンターのスタッフさんが言っておられた『もし自分ならもう一度ここに住みたいか、と問うような気持ちをもって取り組んでほしい』という言葉に、本当にこの牡鹿半島に住む人たちの事が好きなんだなと感じました。」
(高校二年 土肥幸太郎)
「一番感じたのは、亘理いちごっこの存在が地域を元気にしているということでした。いちごっこで働く方々は、「この活動が生きがいになっている」と皆さん言っていました。津波で自宅が流され、仮設に住みながらも、いちごっこのスタッフとして働く方、病気と闘いながら働く方、それぞれの事情があるにもかかわらず調理したり、運んだりと、皆さん生き生きとしていました。昼食を食べにいらした方々もたくさんいて、外で待っていらっしゃる方々もとても多かったです。おいしそうにご飯を食べ、話がはずんでいて、ご飯を食べている方々もとても楽しそうでした。もしいちごっこがなかったら…と考えてみると、スタッフの方々は普通に仮設にいて、ご飯を食べにいらしていた方々だって、外に出ないで寂しく暮らしていたかもしれません。いろいろ考えてみても、やっぱりいちごっこは地域にとってもう、なくてはならない存在だと思いました。」
(高校一年 小林奈々佳)
みなさんは、「リーダー」という言葉を聞いてどのような人物を思い浮かべますか?
学習院女子大学の畠山圭一先生は次の様におっしゃられます。
「ヒーローとは偉業を成し遂げた人である。一方、リーダーとは、己を捨てて人を公道に導き、自らもその道に徹した人である。」
高校生友の会「呉竹」では、春休みに、全国より「呉竹」のメンバーが結集し、日本を担っている各界のリーダーとの懇談や体験、ティーチイン、積極的なディスカッションを通じて、「リーダー」としての生き方、世界の中の日本の使命と可能性を探究し、志ある高校時代を見つけていきます。
畠山先生の講義では、日本の国は如何に素晴らしい国であるかを学んだ。日本は武力によって形成された国家ではないことを改めて教えて頂き、日本は自然にまとまった国である事が分かった。だから、国内の争いは少ないし、上手く国家が営まれてきたのではないかと思う。また、文明開化は、闇雲に、外国の文化を取り入れたのではないことも分かった。日本は取り入れる文化とそうでない文化を選択してきたのだ。(中略)話しの終盤で、「日本は国際社会と共に生き、国際社会をリードする事を宿命付けられている。」とおっしゃった。私は、日本の使命の重さを感じると共に、日本人である私の使命の重さを感じた。私は将来、日本の本当の歴史を伝えたい。
高校二年(当時) 富永曜子