2013年2月の記事一覧
2013年2月11日
家庭の歳時記 2月11日 建国記念の日
拝啓 立春の候、今日関東では春一番が吹くと天気予報がいっていました。先日は雪が降りましたが、温暖の繰り返しで春がやってくるのですね。
今日のテーマは『建国記念の日』です。明治6年に「紀元節」として2月11日が建国をしのび祝う日として決められました。明治26年には小学唱歌「紀元節」が作られました。
『紀元節』 高崎正風作詞・伊澤修二作曲
雲に聳ゆる高千穂の高根颪(おろし)に草も木も
靡き伏しけん大御代を仰ぐ今日こそ楽しけれ
海原為せる埴安の池の面より尚広き
恵みの波に浴みし世を仰ぐ今日こそ楽しけれ
天津日嗣(あまつひつぎ)の高御座(たかみくら)千代万代に動き無き
基定めし其の上(かみ)を仰ぐ今日こそ楽しけれ
空に輝く日の本の萬の国に類無き
国の御柱立てし世を仰ぐ今日こそ楽しけれ
国の分だけ「建国記念日」はあります。神話にその起源をもつ国。先住民と闘って勝ち取った国。度重なる革命によって出来上がった国。長い戦闘や内戦によって絶えず国境線を変えざるを得ない国。などなど。
日本は今年2673年目の「建国記念日」を迎えます。2673年前、大和の橿原の地で神武天皇がご即位された日が、建国の起源です。
それ以来、同じ日本の土地で、同じ言葉を使い、建国の神話を持ち、豊かな自然の中で感性を共有し、そして何より初代の神武天皇以来一系の天皇陛下という中心者を仰ぎながら歴史をつむいできました。それが日本人だといえるかもしれません。
以前、テレビで黒柳徹子さんがアフリカの人の言葉を紹介していました。アフリカは500年以上欧米によって植民地化され、奴隷という運命の中で、アフリカの歴史が辿れなくなった。思い出せないのですと。思い出す術が失われてしまったんだと。何という悲しい言葉でしょうか。人はただ生きているだけではなく、国としての共通の思い出やルーツを知らず知らずのうちに求めているのかもしれません。
私たちは先祖が守ってきて下さったように、次の世代にきちんと日本のルーツや共通の思い出を伝えていかなくてはなりません。先祖への感謝の気持を忘れずに。門口に国旗を揚げて、建国のお祝いをいたしましょう。
2013年2月2日
家庭の歳時記 2月3日 「節分」 2月4日「立春」
拝啓 立春の候、皆様にはいかがお過ごしでしょうか。今日は節分と立春についてお話します。
石ばしる垂水の上のさわらびの萌えいづる春となりにけるかも
(志貴皇子の御歌・万葉集)
私の大好きな万葉の和歌です。まだあたりには冬の寒気が残っていながらも、その中に早蕨が萌え出でる様子に春の気配を感じるよろこびが満ち満ちています。千年をこえてもその情景がうかび共感できることはうれしいです。
長くて寒い冬をこえ、春に向うよろこびは実感しますが、古代であれば尚更春を待ちわびるこころはひとしおだったと想像します。
「24節気」というものがあります。暦とは別に一年を24の節に分け、季節の移ろいを知り農事の段取りをする目安としました。その最初が「立春」です。むかしはその日を正月とする考えもありました。1年のはじめの「立春」を迎える前日を「節分」とし、冬の悪気をはらい新しい年の陽気を引き入れ豊年をむかえる行事がされます。
冬の悪気をはらう行事が「鬼やらい」とよばれ、行われはじめたのは文武天皇の慶雲3年(706)。疫病の流行により百姓が多くなったためにおこなわれた。その後文徳天皇(850代)のころより民間でも広まったようです。「鬼やらい」とは鬼を桃の弓や葦の矢、矛と楯で追いやる行事だったそうです。
いまのように豆まきとなったのは室町時代からといわれています。
今でも節分の夜に鬼の嫌がる葉を焼き家中にいぶかせたり、鬼が嫌うという鰯の頭を柊の枝にさし玄関にはりつける風習は残っています。
わが家では、そこまではしませんが、どんなに遅くなっても主人の帰りを待ち、家中の窓を開け「鬼は外、福は内」と豆をまき、歳の分だけ豆をいただきます。だんだん歳が増えると全部たべるのが大変です。
そして「立春」をむかえ、午前中に「お雛様」をささやかながら飾り3月3日の雛祭りまで楽しみます。