2012年5月18日
これから、10代の皆さんを主な対象として、道標となったり、
生きていく上でのヒントになるようなお話しを、
まほろばのメンバーより行っていきます。
私は教職に就いて二十年、その間、三年生を受け持つ際には、
必ず卒業にあたっての作文を課してきました。
初めは自由題で、原稿用紙三十枚を義務付けて提出してもらいました。
もう十年以上、十枚にしていますが、初めの頃は三十枚でありましたので、
生徒諸君にとってはかなり大変だったようです。
こちらが若かったということもあって気合いが入っていたのでしょう。
勢いにまかせて「三十枚書くぞ」と宣言してしまったものですから、さあ大変です。
みんな悲鳴をあげながら奮闘していました。
不思議なことに誰一人文句も言わずに黙々と原稿用紙を埋めてくれました。
出来上がったものはどれも大作であり、研究論文に近いもの、小説ふうのものと色々でした。
商業高校の生徒たちですから、
多分経済とか将来の商売のことだとかが多くなるのではないかと考えていたのですが、
実際は違っていたのです。生徒諸君の持っている感性は実に豊かでした。
その中になんと八十枚書いてきた生徒がいたのです。女子の生徒でした。
達筆で、内容はすばらしいものでした。
そして、その題こそ「十八年間を振り返って」だったのです。
以来、三年生の卒業にあたっての作文は、自分史とし、希望者のみ他のテーマにしました。
さて、自分史を書いてどうだったでしょうか。
毎年の感想を読み続けていると、共通して言えることがあります。
それは、自分の十八年間の歴史は、親をはじめ周囲の人々の支えがあったからだと
気がついてくれていることです。
人間は一人では生きてはいけない、多くの人々の生との関連の中で、
人生があることに気づくのです。
もし自分史を書かなければ、親や他の人々の努力を知らないままだったかも知れません。
歴史を学ぶ際に大切にしたいのは、この気づきなのです。
自分史は自己の歴史ですからだれもが愛情をもって書くことでしょう。
この愛情をもって、歴史を担ってきた人々の立場に立って、
できるならばその人の生き方を真剣に学んでほしいのです。
ここに激動の幕末時代を生きた青年の物語を記します。
三年生にとっては、卒業という人生の節目に、
一年生や二年生にとってはこれからの人生の目標を考える上で、
必ずなにかしらの示唆を与えられるものと信じています。
真剣な目で、姿勢で読んでくれることを心から期待します。
師道を興さんとならば、妄りに人の師となるべからず、又妄りに人を師とすべからず。必ず真に教うべきことありて師となり、真に学ぶべきことありて師とすべし。(講孟剳記)
中高校生の君たちにとっては、やや難しい内容かもしれません。
やさしく言い換えれば、
「先生のあるべき姿を、今の世で確立しようとするならば、まずは安易に、人に教える先生になってはいけない。また簡単に考えて人を先生としてはいけない。必ず、本当に教えるべきことがあって先生となり、本当に学ぶべきことがあって先生とすべきである。」
という意味です。
ここにあげた「師道」すなわち先生としてのあるべき姿は、
幕末の激動の時代に生きた吉田松陰という先生が言われた言葉です。
大学生の頃に、有志を募り日本の歴史を学んでいた私が、
多くの時間をかけて勉強した人物のなかに吉田松陰がいました。
勉強したての頃は、人物研究の一人として考えていたにすぎませんでした。
しかし、学ぶうちに次第にその生き方に深く感銘をうけ、影響されるようになっていたのです。
確か大学一年の終わり頃でした。
吉田松陰の物語や文献を読み進むうちに、とても他人事とは思えないほどになっていたのです。
こうなるともう読んでいるという感覚はありません。
吉田松陰が、私に語りかけ訴えかけてくるのです。
ときには、君は何をしているのだ、そんな生き方で良いのかと
叱られているかのような感覚を持つことさえありました。
不思議でした。歴史上の人物を学んで生き方の影響をうけるなど、めったにあることではありません。
なにしろ今から百五十年も前に生きていた人なのですから。
(次回に続く)
written by 丸幸生(まほろば教育事業団副理事、京華商業高等学校教諭)