ホーム教育通信中高生の皆さんへ「10代に読みたい物語」復興を支えた神楽の心に迫る奉仕活動④
教育通信
  • 保護者・教育関係者
  • 中学生・高校生
保護者・教育関係者へ

2013年6月26日

復興を支えた神楽の心に迫る奉仕活動④

■復興の原動力となった祭り、神楽の復活
それにしても、漁は、海の状態いかんによって
危険性と隣り合わせとなる「いのちがけ」の営みである。
海は豊かな恵みを与えてくれるが、時に脅威にもなる。
それゆえ、浜の人達は、祈りの場を大事にしてきた。
震災により、自然の猛威にうちのめされ再建は難しいとも思ったが、
自分を育ててくれたわがふるさとだという意識は離れなかった。
しばらくは意気消沈したが、やがて、漁師達は、海に向き合い、
険しくとも再建への道を選んだ。その上で、励みとなったのが、
全国の支援であった。とりわけ、民間有志の東日本救援隊は、
頻繁に足を運び共に歩んできた。
 そして、祈りの場である地域の祭りが、昨年五月四日ようやく復活した。
その時の様子は、映画「雄勝―法印神楽の復興」(日本ユネスコ協会連盟、監督 手塚 眞)に収録されいる。
離散していた若い家族もこの日ばかりは、ふるさとに戻ってきて、
たくさんの人が集まって、にぎにぎしく祭りが催された。
救援隊の若手が担ぐ北野天満宮の御輿が浜を練り歩き、
手作りの出店もあり、子供達もはしゃぎ楽しんだ。
祭りのメイン行事が、奉納される神楽であることはいうまでもない。
浜辺に作られた舞台の上で、次々に、力強くも心あたたまる神楽が行われ、
浜の人々は魅了され、心を一つにしていった。
子供達は舞台袖からじっと舞いを見つめて離れようとしなかった。
祖先より受け継がれた祭り――人と自然と神々がともに生きる
美しい浜の伝統がよみがえった。
立浜養殖組合長の末永千一郎さんは、膝を痛めながら、舞台に立ち、
最後までご自身の神楽を舞いきった。
終了後、息を切らしながら、この祭りにより復興が勢いづけばと
手応えを語った。
 
■神々とともに生きる
二日目の午後、私達は、末永千一郎氏宅を訪れた。

(写真左端が末永氏)
改めて震災直後から神楽復活への経緯や思いなど感慨深いお話しをして下さった。
友の会「呉竹」のメンバーは、
「神楽を復興することに対しての強い思いがよく伝わってきました。ビデオで見ていると、ケガをしておられたにもかかわらず、神楽を奉納されているのが印象に残っていて、祭りが復活したのが、よほど嬉しかったのだろうと思いました」
「神楽の話を聞き、被災地の大変な状況下で、伝統を守る大変さや苦労、祭りが持つ大きな力というものを感じました」
「僕のふるさと西宮と雄勝町は神様を大切にしているという共通点があることを発見しました」
等の感想を述べた。いずれも、祭りがもつ力を実感し、
また、自分を形成してきた幼少期の体験の中に同じものがあることを再発見している。
末永氏に、思い切って、神楽のセリフをお聞かせ下さいとお願いした。
すると分厚い台詞を取り出してきて、二十八もある演目を紹介され、
場面場面を軽やかな口調で語り始めた。
しだいに熱がこもり、私達は、神々の物語に引き込まれていった。
中でも天岩戸開き、スサノオの物語は圧巻である。
ご存知のとおり、スサノオノミコトは高天原で大暴れしたあげく
追放されてしまう。償いの旅に疲れ果てたミコトは、
裕福そうな明るい家がみえたため、戸をたたいて一夜の宿を求めたが
断られてしまう。無念な思いでさまよい歩くと今度は、薄暗く、
貧しそうな民家があった。ミコトは、戸をたたき一夜の宿を求めると、
家主は、あたたかくむかえいれ、粟の食事と粟殻の布団でもてなしたという。その家主を蘇民という。
ミコトは、蘇民の情け深さに心を打たれ、その時、心から人の道を悟った。
その思いはやがて娘を救うため八岐大蛇退治という勇敢な行為につながり、
やがて幸せな家庭を築くに至る。
末永氏は、神話は、人の道、教えであるとし、若い時は、
時として行きすぎた行為や過ちを犯すこともあるが、
一をみて百を断じてはいけない、信じて向き合い待つことが大切だと語られた。
仮設住宅や家々の玄関に「蘇民将来子孫門戸」という紙の札を掲げているのを、
私達は不思議に見ていたが、実は、この伝承の蘇民の子孫という心構えをもって、
訪れた人をあたたかく迎え入れるためだそうである。
「雄勝の人々にとって、神話の物語は生活の中に息づいているのですね」
との質問に対し、末永氏は、額に飾った船の写真を見上げ、
上から二番目が持ち主の屋号の旗で、その上が日の丸、
そして、船の中には、必ず、船魂という神様が祭られていると教えて下さった。
漁師にとって、漁は神とともに為され、神のご加護のもと営まれているということであろう。

つづく
written by 清家和弥

ページトップに戻る