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2016年4月の記事一覧

2016年4月11日

*高校生リーダー研修会in東北・体験談④大川小学校*

*高校生リーダー研修会in東北・体験談④大川小学校*
みなさま、いつもありがとうございます。
最終日はこの研修会の締めくくりともなる大川小学校の清掃奉仕に参加しました。
大川小に移動する前に、石巻市内の門脇小学校元校長の鈴木先生に当時のお話を伺いました。
「東日本大震災・石巻の人たちの50日間 ふたたび、ここから」という書籍に鈴木先生のことが載っており、いつかお会いしたいという気持ちを強く持っていたので、とても有り難い出会いとなりました。
「神社は今回の東日本大震災で命を救った場所なんです。神社に逃げたので命が助かったという声がありこちから聞こえました。昔の人はそういうこともわかって神社を建てたと思います。」
という言葉が心に残りました。

多くの児童、教諭、地域の方が亡くなられた大川小学校・・・。
子供たちの元気な姿がなくなった校舎跡はとても悲しく見えたが、子供たちの笑顔を思い浮かべながら、心を込めて廊下や壁の拭き掃除を行いました。
参加者の手記を紹介します。

「多くの被災者の方々とお会いしましたが、皆さん笑顔でいるお姿ばかりで、正直この方々が本当に震災、津波を経験したのかと思わせる程でした。しかし、それを覆したのが、大川小学校です。
大川小学校のあの残像を見たとき、言葉を失いました。やはり、自分の目で直接見ることは全然違うと知りました。
天井がそのまま割れて下に落ちてきている教室や地割れしている廊下、三時三十七分で止まっている時計が、当時の瞬間を表していると感じました。今でも目に浮かぶ天井の波状痕。自分よりも何mも高い、しかも二階の天井に波の痕が残っていました。波の水圧で周りのものは粉々、形が変形しています。本当に恐ろしい。
その中で遺族の方の只野さんにお話をお伺いすることができました。只野さんの息子さんは、当時大川小学校の五年生であり、奇跡的に助かった1人です。その息子さんは、被災当時から五年、今も『他の人達がこんな目にもう遭わないように』とこの大川小学校のことを伝える活動をしています。私と同じ年です。同い年だと聞いた時は、自分自身がちっぽけに見えた気がします。同い年でこんなに頑張ってる人がいたのに、私も出来ることがあったんじゃないかなと思いました。
大川小が保存になったことは、これからの世代に通っていた子供達のことを、津波の恐ろしさのことを教えてくれる存在になるんじゃないかと思います。今回学んだことをセミナーの仲間や友人に伝え、今生きていることに感謝しながら、日々を送っていきたいと思います。」
(大阪・高校2年・女子)

三日間を通じて、当たり前の日常に感謝する心を持つこと、夢を追えることのありがたさ、いのちを輝かせて生きることの尊さを心から学ぶことができました。

2016年4月7日

高校生リーダー研修会in東北・体験談③石巻市内編

*高校生リーダー研修会in東北・体験談③石巻市内編*
みなさま、いつもありがとうございます。
2日目午後は、震災当時、避難所のボランティアリーダーを務められた浅野仁美さんと石巻市内を巡りました。
高校生友の会「呉竹」メンバーが平成23年9月に浅野さんがいらっしゃった石巻市鹿妻小学校の体育館の清掃奉仕をさせていただいた時以来の再会となったメンバーもいました。
あの時高校生だったメンバーも今や大学生運営スタッフとして、この会を支えてくれています。

石巻市でも津波の被害が甚大だった沿岸地域や、津波で住居兼店舗が流失・全壊したその跡地に、津波には負けたくない、そして、元気を出せないでいる地域の皆さんを励ましたいとの人々の想いから、震災木材でつくられた「がんばろう!石巻」の看板、震災直後から壁新聞を発刊した石巻日日新聞校舎が全焼した門脇小学校、日和山をご案内いただきました。
また、震災直後、停電と津波により社屋が浸水し、輪転機が水没、濡水しなかった新聞ロール紙に、懐中電灯で照らしながらマジックペンで書き込んだ石巻日日新聞の壁新聞を見学しました。
その後、浅野さんを囲んでの座談感想会を行いました。


「震災の時は、皆それぞれが”誰かがやってくれるだろう”ではなくて、”自分にできることを精一杯やろう”という素直な姿勢があった。」
と語られる浅野さん。浅野さんの娘さんも当時小学六年生で同じ避難所で避難生活をしていました。小学生にもできることはあると、あいさつ運動を始めたそうです。
子供たちの明るい元気なあいさつに、避難所の人たちも元気をもらっていたことでしょう。

また、私たちが東北のために出来る事は何だろうという話になった際に、
「日本中が思いやりにあふれることが東北の支えなんですよ。」
とお話いただいたことも強く心に刻まれました。
今、待機児童の問題で「日本死ね」という発言が問題になっていますが、浅野さんは、
「”死ね”という言葉はお母さんが決して使ってはいけない言葉。”死ね”という言葉で日本が動くのは嫌だ。この言葉で東北の人はとても傷ついている。私たちが5年がけで大切にしてきたいのちがけの教訓が生かされていないのではないか。」
と語られました。

また、鹿妻小学校には当時、秋篠宮同妃両殿下が御訪問になられ、
紀子様から、
「よく生き残られましたね」
とのお言葉をかけて頂いたそうです。
「震災から避難生活までの苦難の道も全て分かって下さっているんだと、本当にありがたかった」
と浅野さんは感動を語られました。

ほとばしるように、思いを語って下さった浅野さん。
浅野さんの優しさと情熱にふれ、高校生たちも、それぞれの地に帰ってからが本番なのだと感じることができました。

最終日は、多数の児童、教員が亡くなられた大川小学校の清掃奉仕に参加しました。
その④につづきます!

2016年4月1日

高校生リーダー研修会in東北・体験談②女川編

*高校生リーダー研修会in東北・体験談②女川編*
みなさま、いつもありがとうございます。
さて、2日目の体験談です。
3月17日に、天皇皇后両陛下の行幸啓を仰いだ、宮城県女川町の「復幸祭」に参加してきました。


「春風も沿ひて走らむこの朝(あした)女川駅を始発車いでぬ」
という御歌を皇后陛下がお詠みになられました。
東日本大震災で被災したJR石巻線が四年ぶりに全線開通したことを喜びをもってお聞きになられ、前へ向かって進む東北の人々の心に共に寄り添われている御心をお偲びし、高校生たちがこの御歌を色紙に書いて女川の人々に届けたいとの願いで、女川を訪れました。
新しく建てられた女川駅の周りには多くの出店が立ち並び、若者も多く集い、とっても活気に溢れていました。

女川駅の駅員さんに色紙をプレゼントした後、自衛隊の広報テントを訪れました。女川町自衛隊父兄会会長で震災語り部もされている、阿部貞さんにお話を聞きました。阿部さんは、沿道奉迎にかけつけたそうで、「両陛下のご訪問は一生の宝です。本当に感動しました。ありがたかった。」と感動を語っていただきました。

次に、両陛下に直接お言葉をかけていただいた、シーパルピア女川(駅前の商店街)のダイビングショップと、花屋さん、ダンボールギーニーの展示をしているお店を訪問し、突撃インタビューを行いました。
特に、花屋さんの店主鈴木さんから、直接両陛下からお言葉を賜った話を聞くことができました。
「商店街にお花屋さんがあるのは明るくてよろしいですね。」
「コデマリが咲く季節になりましたね。」(鈴木さんは、コデマリの花を綺麗に飾って両陛下をお迎えされました。)
「看板も新しくされたんですね。」
「お店の中もきれいになって良かったですね。」
とのお言葉を賜ったそうです。
鈴木さんは、
「両陛下はお体から優しさがあふれていました。すごくありがたくて、ずっと”ありがとうございます”と言っていました。女川の御歌でみんな元気づけられました。」
と感動を語っていただきました。
鈴木さんの娘さんは震災当時、小学校教諭を目指していたそうですが、「私は花屋になる」と言って女川に帰ってきたそうです。
「先生の夢を諦めてしまっていいの?」と鈴木さんは言いましたが、「お母さん、私、夢が変わったの。」と娘さんは決意をまげなかったそうです。「きっと私のことを心配して帰ってきてくれたんだと思う」と鈴木さんは静かに振り返られました。
並々ならぬ苦労を重ねながら親子力を合わせて再建したお花屋さんに、まさか両陛下にお越し頂けるとは思ってもみなかったそうです。
「誇りに思います。」と、鈴木さんは嬉しそうに語られました。
お花屋さんのレシートには、すずらんの花言葉「幸福が帰る。」と、「東北の一日も早い復興を願って・・・」という言葉が刻まれていました。
御歌の色紙を「お店に飾りますね」と喜んで受け取って下さいました。

感動いっぱいの午前中が終わり、午後は石巻市内へ!
震災当時、避難所のボランティアリーダーを務められた浅野仁美さんと石巻市内を巡りました。
その③へ続く!

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