2016年4月7日
高校生リーダー研修会in東北・体験談③石巻市内編
*高校生リーダー研修会in東北・体験談③石巻市内編*
みなさま、いつもありがとうございます。
2日目午後は、震災当時、避難所のボランティアリーダーを務められた浅野仁美さんと石巻市内を巡りました。
高校生友の会「呉竹」メンバーが平成23年9月に浅野さんがいらっしゃった石巻市鹿妻小学校の体育館の清掃奉仕をさせていただいた時以来の再会となったメンバーもいました。
あの時高校生だったメンバーも今や大学生運営スタッフとして、この会を支えてくれています。
石巻市でも津波の被害が甚大だった沿岸地域や、津波で住居兼店舗が流失・全壊したその跡地に、津波には負けたくない、そして、元気を出せないでいる地域の皆さんを励ましたいとの人々の想いから、震災木材でつくられた「がんばろう!石巻」の看板、震災直後から壁新聞を発刊した石巻日日新聞校舎が全焼した門脇小学校、日和山をご案内いただきました。
また、震災直後、停電と津波により社屋が浸水し、輪転機が水没、濡水しなかった新聞ロール紙に、懐中電灯で照らしながらマジックペンで書き込んだ石巻日日新聞の壁新聞を見学しました。
その後、浅野さんを囲んでの座談感想会を行いました。
「震災の時は、皆それぞれが”誰かがやってくれるだろう”ではなくて、”自分にできることを精一杯やろう”という素直な姿勢があった。」
と語られる浅野さん。浅野さんの娘さんも当時小学六年生で同じ避難所で避難生活をしていました。小学生にもできることはあると、あいさつ運動を始めたそうです。
子供たちの明るい元気なあいさつに、避難所の人たちも元気をもらっていたことでしょう。
また、私たちが東北のために出来る事は何だろうという話になった際に、
「日本中が思いやりにあふれることが東北の支えなんですよ。」
とお話いただいたことも強く心に刻まれました。
今、待機児童の問題で「日本死ね」という発言が問題になっていますが、浅野さんは、
「”死ね”という言葉はお母さんが決して使ってはいけない言葉。”死ね”という言葉で日本が動くのは嫌だ。この言葉で東北の人はとても傷ついている。私たちが5年がけで大切にしてきたいのちがけの教訓が生かされていないのではないか。」
と語られました。
また、鹿妻小学校には当時、秋篠宮同妃両殿下が御訪問になられ、
紀子様から、
「よく生き残られましたね」
とのお言葉をかけて頂いたそうです。
「震災から避難生活までの苦難の道も全て分かって下さっているんだと、本当にありがたかった」
と浅野さんは感動を語られました。
ほとばしるように、思いを語って下さった浅野さん。
浅野さんの優しさと情熱にふれ、高校生たちも、それぞれの地に帰ってからが本番なのだと感じることができました。
最終日は、多数の児童、教員が亡くなられた大川小学校の清掃奉仕に参加しました。
その④につづきます!