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2013年5月の記事一覧

中高生の皆さんへ「10代に読みたい物語」

2013年5月24日

復興を支えた神楽の心に迫る奉仕活動②

■震災と神社の果たす役割
東北入りした私達は、はじめに、「震災と神社の果たす役割」について学ぶため、
宮城県神社庁を訪れ、村田守広参事にお話を伺った。
宮城県は、百三十一社の神社が流失、全壊、半壊し、
また、神社を支える地域の人々も被災しているため、
それらの神社の多くは、再建の目途が立っていない。そのような中で、
神社本庁の支援を基軸に、支援者をつなぎ、すみやかな再建に尽力されたのが村田参事である。
ありがたくも、伊勢神宮よりご用材が無償で提供されることになり、
これまで九棟の神社が再建されている。
村田参事には、そのことも含めて三点についてお話し頂いた。
一つは、伊勢神宮のご用材を用い、お伊勢さんの神威を頂いて神社が再建されたことの意義の大きさである。
二つ目は、神社は、地域の心の拠り所であり、コミュニティーの核であり、
何よりも神社の再建が人々の元気につながることである。
三つめは、想定外という言葉が多く語られたが、そもそも自然は人智を超えた存在であり、
自然への畏敬の念が薄れたことが問題であること。
文明と自然のバランスをどのようにつけて行くのかを、
今回の震災を通じて考えなければならないということである。
村田参事の話を聞いて高校生は
「神社の存在が、地域のコミュニティの中でとても重要な役割を果たしていたんだと思いました。
町を復興していく中で、心の拠り所となる祈りの場があるということは
被災者の方々にとってどれほど支えになっただろうと思います」と感想を述べた。
 
■お伊勢さんの力を頂いだいた新山神社
午後、私達は、石巻市街地を視察し、雄勝町に移動、中心部にある新山神社を訪れた。
実は、伊勢神宮のご用材を使って再建された神社の第一号が、この新山神社であった。

訪れた雄勝地区は、雄勝湾の一番奥に位置する浜の町で、
津波によって流され一面更地と化した。その中に、規模は小さくとも、
檜の香も香しく若々しい輝きを帯びた新山神社は再建された。
「こんな立派なものができるとは」と涙ぐむ人もいた。
何しろ、伊勢神宮のご神域から切り出した木材を使うので、地元の人は大変よろこんだそうだ。
竣工奉告祭では、神楽も奉納され、三百名の人々が集まり、再会を喜びあった。
ご尽力された小田宮司は、お伊勢さんの力を頂いて、地域がよみがえることが、
何よりも嬉しく、やりがいも湧いてきたと語られた。
村田参事は、神社再建に、伊勢神宮のご用材が使われ、
大神のご神威をいただくことの意義深さについて繰り返し述べられたが、
二十年に一度の式年遷宮の年、東北の真の復興は、
日本のいのちのよみがえりの中になされていくことを強く信じておられることを改めて感じた。

次回に続く

(written by 清家和弥)

中高生の皆さんへ「10代に読みたい物語」

2013年5月16日

復興を支えた神楽の心に迫る奉仕活動①

復興を支えた神楽の心に迫る奉仕活動
―復興の原動力となった
「雄勝法印神楽」―

 
 皇后陛下御歌 復興(平成二十四年)

今ひとたび立ちあがりゆく村むらよ失せたるものの面影の上に

この御歌は、地震と津波により失われた人命、家、周囲の自然等、
その全てを面影として心に抱きつつ、
今一度復興に向け立ち上がろうとしている北国の人々に
思いを寄せてお詠みになったものである。 

去る三月二十九~三十一日、二度目の支援活動として訪れた
宮城県石巻市雄勝町は、まさに御歌に詠まれた、困難に直面しつつも、
たちあがりゆく村の一つである。
そして、その復興の原動力となったのが、神社、祭りの再興であり、
雄勝法印神楽の復活であった。
私たち高校生友の会呉竹は、ワカメの収穫作業の支援とともに、
復興を支える神楽の心とはどのようなものか、自らの目で見て感じ、
その中で、復興支援のあり方を見つめていきたいと考え、
高校生ら九名で雄勝立浜地区を訪れた。

雄勝町法印神楽は、六百年の昔、羽黒修験者によりこの地にもたらされ、
現在、国の無形文化財として浜の人々に受け継がれている。
二十八の演目からなる古事記、日本書紀の国生み神話等の物語の中から、
いくつかを選び、村の神楽師たちによって舞台が演じられる。
優美にして勇壮、激しい戦いの場面もあれば、
その年に生まれた赤子を抱き、舞う場面もある。
時には、観客が引きつられて舞台にあがり、神々と舞い踊る場面もある。
見る人も演じる人も一つに溶け込んで、土地とともに生きる喜びを共にし、
人々の絆をむすんでいくのが雄勝法印神楽と言えるだろう。

しかし、東日本大震災は、すべてを流し去ってしまった。
養殖場も家々も根こそぎ流され、神楽のお面や装束など一切の用具が
流された。四千三百人いた人口は千五百人まで減少し、
町の復興は目途が立たず、生活は元に戻らない。
それでも人々は、神楽や祭りの復活を望んだ。
全国からの支援もあり、十年は復活できない思われていた神楽が、
半年後、鎌倉宮での復興支援公演として蘇った。
 
■皇太子同妃両殿下 雄勝法印神楽をご鑑賞
さて、「雄勝法印神楽」は、今年二月、国立劇場で復興支援の公演が行われ、
皇太子同妃両殿下には行啓遊ばされ、三時間にわたる公演を
ご観賞になられた。私は偶然にもこの舞台を鑑賞する光栄に巡り合わせ、
「山幸、海幸」など皇室の遠つ御親の生命力あふれる舞台に感銘を深くし、
次代の子供たちにぜひとも伝えていきたいと思った次第である。
皇太子殿下は、公演後、四、五十分にわたり、一人一人に労いと励ましの
お言葉をかけられ、保存会の方々は、思いもよらぬお心遣いに
感激したそうだ。
皇太子殿下は、その時のお気持ちをお誕生日のご会見で述べられている。

「六百年の歴史を誇り、地域の人々の心のよりどころとなっている伝統芸能を守り、活動していこうとする保存会の人々のすばらしい公演を鑑賞し、震災に立ち向かいながら、伝統を守り続けるひたむきな姿に心を打たれました。引き続き、東北の方々の復興に向けた取組を国民が心を一つにして支えていくことが大切です」

東北の方々のひたむきな姿に心を打たれ、
国民と心一つに支えていこうとされる思いが、
一人一人への心こもるお言葉がけにつながったのではないかと拝察された。
私達は、殿下のお言葉を胸に、手作りの御製のしおりを携えて雄勝を訪れた。

次回へ続く
(written by 清家和弥)

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